道標

龍ケ崎市指定文化財
道標(水戸街道)
江戸初期に、水戸街道の松戸〜我孫子〜布佐〜布川〜若柴のルートから、松戸〜我孫子〜取手〜藤代〜若柴に変更された。この新旧二つのルートの合流点が、現在の馴柴小学校北東隅の三差路で、ここに文政9年(1826年)12月道標が建てられた。

道標とは、通行人の便宜のため、道の方向や距離などを記して路傍に立てた標識。

道標(馴柴小学校)の地図


道標(水戸街道)の画像・動画

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動画
2012(H24)年
道標(龍ケ崎市指定文化財)  [6:02]

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水戸街道は
水戸街道は江戸の幕府と徳川御三家の水戸を結ぶ、東海道などの五街道に次ぐ重要な脇街道であり、千住宿から水戸宿までの20の宿があった。

五街道とは

   東海道、日光街道、奥州街道、中仙道、甲州街道をいう。
街道名 基点 終点など 宿駅数
東海道 日本橋(江戸) 三条大橋(京都) 53
日光街道 日本橋(江戸) 日光坊中(日光東照宮、現在の栃木県日光市山内) 21
奥州街道 宇都宮 白川(福島県白河市) 10
中山道 日本橋(江戸) 草津宿で東海道に合流するまで 67
甲州街道 日本橋(江戸) 下諏訪宿で中山道と合流するまで 38




水戸街道の宿


宿名 現住所
1 千住宿 足立区 東京都
2 新宿 葛飾区
3 松戸宿 松戸市 千葉県
4 小金宿
5 我孫子宿 我孫子市
6 取手宿 取手市 茨城県
7 藤代宿
8 若柴宿 龍ケ崎市
9 牛久宿 牛久市
10 荒川沖宿 土浦市
11 中村宿
12 土浦宿
13 中貫宿
14 稲吉宿 かすみがうら市
15 府中宿 石岡市
16 竹原宿 小美玉市
17 片倉宿
18 小幡宿 東茨城郡茨城町
19 長岡宿
20 水戸宿 水戸市

道標の設置場所

 道標の設置場所は、藤代宿と若柴宿の間に位置する。



江戸初期に、松戸〜我孫子〜布佐〜布川〜若柴のルートから、松戸〜我孫子〜取手〜藤代〜若柴に変更された。
この新旧二つのルートの合流点が、現在の馴柴小学校北東隅の三差路で、ここに道標が建てられている。



  道標(馴柴小学校)の地図
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江戸時代は
 (1603年〜1868年)
慶長8年2月12日(1603年3月24日)に徳川家康が征夷大将軍に任命されて江戸(現在の東京)に幕府を樹立してから慶応4年/明治元年4月11日(1868年5月3日)に江戸城が明治政府軍に明け渡されるまでの265年間を指す。

道標面の内容

道標の三面に「水戸十六里、江戸十三里、布川三里」と通ずる方向と距離、
裏面には、文政9年12月に建立と刻まれている。
 
文政9年=1826年

前面 右面 左面

水戸十六里 江戸十三里 布川三里

1里=3.9273km
水戸 16里≒63km
江戸 13里≒51km
布川  3里≒12km

紹介石碑記念碑


記載内容

市指定文化財
道標
種     別 史 跡
指定年月日 昭和十三年三月二十二日
所  在  地 竜ヶ崎市若柴町三一三五番地
管  理  者 竜ヶ崎市

 江戸時代に江戸と水戸を結ぶ交通路は水戸街道と称され、五街道
に次ぐ重要な脇街道であった。

 初期の水戸街道は、我孫子から利根川に沿って布佐まで下り、利
根川を渡って布川、須藤堀、紅葉内の一里塚をたどって若柴宿に至
る街道(布川道)と、取手宿、藤代宿を経て小貝川を渡り小通幸谷
若柴宿に入る道があった。この二つの道の合流点、現在の市立馴柴
小学校の北東隅の三叉路にこの道標(里程標)がたてられ、三面に
水戸十六里、江戸十三里、布川三里と、通ずる方角とそれぞれへの
里程が刻まれている。裏面には「この若柴駅街道の碑は文政九年
(一八二六)十二月に建立した。三叉路で旅人が迷い易いので、若
柴駅の老人が相謀り、普門品一巻を読誦する毎に一文ずつ供えて積
み立てた(意訳)」とあり、十五名の村人の姓名が記されている。

 明治五年(一八七二)に水戸街道は陸前浜街道と改称され、明治
十五年(一八八二)十一月には、牛久沼淵の道路が開通した。その
ため台地を通る街道はさびれ、若柴駅(宿)も宿駅としての機能を
失った。この道標は若柴駅(宿)街道の碑として、往昔の陸上交通
の盛んであった面影を偲ばせるものである。